BKS-BBA JGC/SFC修行ブログ

人バシラーと飛行距離を極めるヘンテコ旅程で飛ぶのがすきです。

-- road to purple vol.1 -- なんで赤組

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いやー、紫組宣言に多くのコメントありがとうございました。

 

 

bksbba.hatenablog.com

 

  

マジ、ブログやっててよかったです。

 

 

これからもみなさんいろいろ教えてくださいね(^∇^)

 

 

わたしも何かお役にたてることはお返ししていきますんで。

 

ということで、どうでもイイことなんですケド、わたしが初めて飛行機に乗ったことを振り返りたいと思います。

 

 

時は、1975年までさかのぼります。

 

まだ、生まれていなかった方もいらっしゃると思いますが、わたしは、その年に沖縄で開催されていた沖縄海洋博に行ったんですよ。

 

 

沖縄返還が1972年で、なんか、結構盛り上がっていたのではないでしょうかね。

 

 

その時は高度成長期もあって、自営業だった我が家もそこそこ景気も良く、死んだじーちゃんの仕事の沖縄つながりもあって、

 

 

「じゃー、家族で沖縄行こう!!」

 

 

みたいになったんですよ。

 

 

もう、今でこそOKASINとか気軽にホイホイみなさん沖縄を通過点で訪れますが、当時は一大事ですよ。近所ではブルジョワジー扱いされましたからねw

 

 

その時に利用したのがJALだったんです飛行機

 

 

つまり、楽しいときに利用したJALというイメージが植えつけられました。

 

 

まず、新幹線で大阪まで行って、そこでも1泊くらいして、それから、ITMOKAは家族で移動して、帰りのOKAHNDはなんとアナカンですよ。unaccompanied minor、通称アナカンで一人旅をしていたんです。

 

 

当時はちびっこVIPと呼ばれていました。

 

 

 

(画像はネットでひろいました)

 

このバッジを胸につけて、ひとりで乗り込む飛行機。くぅー、これはさらに強い刷り込み入りますよね。

 

 

生れて初めて見たものを母親と思うトリと同じですよ。

 

 

なかなか体験できないことをした場面の出演者だったわけです。JALは。そりゃー、自分の中ではかっこいいの位置づけになるわけです。

 

 

 

 

タイムマシンがあったら、スマホを持って当時の自分のところに行って、

 

 

「これで画像バシバシ撮って、ブログにアップしなさい」

 

 

と教えてあげたいくらいです。

 

 

加えて、その時は少々イレギュラーがあったんです。

 

通常のアナカンはゲートで地上職員が受け取って(って言い方業界っぽいですかねw)、そこから到着地の引受人に渡すまで同行すると思うのですが、どうもその便には、アナカンがわたし1人いて、プラス、なにかしらスペシャルハンドリング(車いすとかかな?)が必要な人がいたらしくて、地上職員がタラップのところに、車をつけて待っていたんですね。

 

 

で、「これ乗って、乗って」って言われて、びゅーんと、建物の外側から出口に向かうと言うおもしろい体験をしたんですね。

 

これ今でいう、ちっぴー兄貴がよくやるレクサスお迎えと同じッスねw

 

 

迎えに来ていた家族もビックリしたので、それがまた痛快だったという。ちょっとおませな小学生でしたね。

 

 

 

 

それ以来、JALが自分の中では特別な位置づけになるわけです。はじめは赤組でスタートしたということですね。

 

 

 

 

 

この尾翼は好きではないんですが、退役前の400にもたまたま搭乗することができました。その時の機長のアナウンスをしみじみ聴いてひとりすすり泣いていたのはここだけのヒミツですw

 

 

ではなんでそこから青組にも興味が行ったかというと、それは次のおはなしで。

 

-- road to purple -- vol.2へつづく

 

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